『カルティエ・オキナワネーズ』



青い空、青い海、白い砂浜、心地よい三線(サンシン)のメロディー、香り高い泡盛、長寿の島など沖縄を彩る言葉はさまざまです。



 かつては最も近い異国情緒のある島のビーチリゾートを楽しむというのが沖縄旅行の目的であったようですが、岡田先生の「ちゅらさん」 やBEGIN、夏川りみなどの音楽に触発されて、さらなる興味を持たれた方も多いのではないでしょうか?

鳩子が初めて沖縄を訪れたのは約10年前ですが、それ以前から沖縄出身の友人がいて彼らに教えてもらった料理や酒が大好きだったこと、あるいはネーネーズや大工哲郎の島唄に夢中だったこともあり、自分の中ではとても身近な存在でした。

 ところで、大阪に沖縄の町、通称「リトル沖縄」があることはご存知ですか?
環状線大正駅の近くに沖縄料理店が多く集まっていることはグルメガイドなどでよく紹介されていますが、さらに南に車で5分ほどにある平尾、恩加島に行くと、家の玄関先にはシーサーという沖縄の獅子が置かれていたり、三線をつまびく音が聞こえたりします。この辺りが「リトル沖縄」なのですが、リトルという語感が鳩子は余り好きではないので、敢えて「カルティエ・オキナワネーズ」と勝手に名づけた次第です。

 平尾商店街近辺には沖縄ならでの食材、皮つきの豚、サータアンダギー(沖縄のドーナッツ)、フーチバ(よもぎの一種)などを売る食料品店やソーキ(沖縄)ソバを食べさせてくれる食堂がたくさんあり、 沖縄舞踊や島唄を聞かせるライブハウスもあったりします。

ソーキソバ サーターアンダギー

 現在大正区には人口の1/4、約2万人近くの沖縄出身の方が住んでいらっしゃいます。
なぜ一箇所にこんなにも多くの人が住むようになったかというと、第一次大戦後の不況が砂糖産業に依存していた零細な沖縄の農業に大打撃を与え、ハワイや中南米への海外移住と共に紡績業を中心に工業地帯として発展していた大阪への出稼ぎが多かったためだそうです。そしてもとより地縁、血縁を大切にする沖縄の人たちが当時は湿地帯であった平尾、恩加島あたりに居を構え始めたのがこの町の起こりです。

 今では沖縄は美しい島(チュラ島)としての印象が強い沖縄ですが、大正区に移住した沖縄の人たちは1970年ぐらいまでは生活習慣の違いからか「琉球人」として韓国・朝鮮人と同じように差別され、本名や出身地を隠したり、布団にくるまって三線の練習をするなど、辛くて悲しい歴史があったのは決して忘れてはいけない事実です。

 今回鳩子は敢えて取材の場を明記いたしません。

 皆さんそれぞれが自分の足で歩いて、大正区のオキナワネーズの歴史を是非たどってみて下さい。
 各自が感じたヤマトンチュ・ウチナンチュのあり方や生き様を理解いただけることを切に願っています。

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 大正区の沖縄について
 http://www.u-r-u-m-a.co.jp/internet/topic/taisho/

 リトル沖縄について
 http://www.okinawatimes.co.jp/spe/mind20020114.html

 大阪近辺の沖縄料理店
 http://www2.osk.3web.ne.jp/~jinta/oki-fds2.html
 ※大阪校のすぐ近くのお店も紹介されていますよ!