『環状線ぐるりひと周りシリーズ 
 〜庶民生活が色濃く残る町・寺田町
〜』


今回のロケハン鳩子は前回の桃谷から時計回りの次の駅、寺田町のご紹介です。

近鉄電車や地下鉄などが多くの路線が集まる天王寺駅の一つ手前にあるため、何かと地味な印象の寺田町ですが、近隣に学校が多くあるので朝・夕は学生でごった返している上に、環状線しか走っていない地域なので、通勤のため自転通勤をする人達が放置する駅前の自転車の山のあまりもの物凄さが、全国版の雑誌やテレビで取り上げられることもしばしばです。


一応駐輪場があることはあるのですが、大阪人気質というか何というか、篤志の方が注意すると倍以上の言葉で反論されるのが常であり、皆がしているから、一人ぐらいどってことないやろ、ということが常習化しているようです。

ちなみに、駅前のかつてトミーズ雅がトレーニングに通っていたボクシングジムのオーナーが、毎朝ボランティアで自転車を片付けてはおられるようですが、そんな強面のおじさんが注意をしてもまったく何の効果もなく、朝を急ぐ女子高校生やOLからは連日くそみそに罵倒されつづけているそうです。(ちなみに若き女の子達のオバハン化は既にこの時から始まっているのですネ???)

それはさておき、駅名・町名の由来はその昔この地一帯が四天王寺の寺田(じでん)があったことから付けられたと言われています。

そんな寺田町から南東へ3分ほど歩いたところの北側に生野商店街、南側には源ケ橋商店があり、生野商店街は全長1kmと大阪でも有数の長さを誇っています。
かつてはこの交差点の辺りに「猫間川」が千年の昔から流れていて、北の淀川に合流していたそうです。今では、下水管として地下に埋められ、道路になってしまったため面影もありませんが、この界隈には古い伝説が残っています。


200年も昔、江戸は文化と言われる頃のことです。

「猫間川」の渡し守をしている「源」という悪党がいました。
通行人から暴力で金品をまきあげきあげて生活をしていたのです。
或る日、例のように、一人の旅人からみぐるみ剥いで殺してしまいまったのですが、実はその男が、長年行方を捜していた、我が子だったのです。 さすがの悪党の「源」も深く悲しんで悔やみました。
思い悩んだ末、ついに罪滅ぼしをしようと決意しました。
自分の身代をすべてなげうち、「猫間川」に橋を架けることにしたのです。 出来上がった橋はすごい橋で、香木に使われる「伽羅」で出来ていたのです。
この香り高い伽羅香木の橋は、源さんの悔いを表して、あまりあるものでした。
人々は善人になった「源さん」に因んで、「源ケ橋」と名づけて呼んだのでした。



ところで、そんな交差点の南側にある鄙びた源ヶ橋商店街の奥に「源ケ橋温泉」というお風呂屋さんがあります。



かつての橋の親柱と同じ石碑をたてて作った「源ケ橋温泉」の看板は戦前調の右からの綴り、そして洋館風の表玄関のすぐ後ろには自由の女神像が二体がアールデコ調の窓を取り囲むように立っており、さらに屋根の頂きには何故かしら「金のシャチホコ」が不思議な雰囲気を醸し出しています。とにかく凄い!あるいはキッチュの一言。



ちなみに自由の女神は、単なる「ゴージャスな飾り」の意味だけではなく、既にお気づきの方もおられるかもしれませんが、ニューヨーク→入浴(銭湯)のシャレがきいているのだそうです。

このまか不思議な建物は国の伝統的建造物に認定されています。
ぜひ一度散策がてら入浴してみてください。

そして入浴の後はすぐ近くの「芳養屋(はやや)」へ行きましょう。
概観は普通の居酒屋ですが、集まる客はどこから湧いて出てきたかと思うほどの、飲んだくれの名のあるプロのミュージシャンばかりで、いったい素人客はどこにおるんや!?と呆れてしまいます。
(ちなみに元憂歌団の木村氏や桑名正博などのバックでドラムを叩いていたベーカー土居さん、故西岡恭蔵さん達が常連です。)
加えて会話の濃さと値段の安さにさらにビックリ。
女の子同士で入店すると周囲のオッサン達が心より歓待してくれますが、そのアクの強さに負けそなら早々に引き上げることが賢明です。 

北の天神橋辺りとはまた違ったしたたかな大阪の庶民的な生活が色濃く残っている町、それが寺田町かもしれません。




小さな交通資料室様
(素材をお借りしました)