『環状線ぐるりひと周りシリーズ』
「どついたるねん」と「じゃりん子チエ」の町 新今宮・今宮駅界隈


「環状線ぐるりひと周りシリーズ」
「どついたるねん」と「じゃりん子チエ」の町 新今宮駅・今宮駅界隈です。

暖かな秋の天気が心地好いと思っていたら、突然めっきり冬らしい気候になってしまいました。風邪が流行っているようですが、皆さんは大丈夫ですか?

今回は天王寺の隣駅「新今宮駅」と「今宮駅」です。
従来環状線には今宮駅しかなかったのですが、関西線専用の駅だった今宮駅に環状線ホームができたのはここ数年のことです。

両駅はともにディープ大阪、新世界に通天閣、それに通称釜ヶ崎こと西成区山王町への入り口ということで、物騒なイメージを持たれている方も多いのでしょうが、そんなイメージとは異なる一面をご紹介できればと思っています。

さて、この辺りというと映画やドラマが好きな皆さんにとっては、荒戸源次郎製作、阪本順治監督、赤井秀和主演の『どついたるねん』や『王手』の舞台としての印象が強いと思いますが、かつて新世界は現代のディズニーランドやUSJに並ぶ一大アミューズメントパークの走りだったことはご存知でしょうか?

昔の新世界1 昔の新世界2

明治45(1912)年にこの一帯はパリやニューヨークの大都会をモデルに繁華街として開発され、通天閣も建設されました。そして時代を反映して鉄塔がそびえる恵比寿町周辺を新世界は命名されたのです。
当初、娯楽場として開発された新世界は遊園地や国技館、見世物小屋、浴場、そして飲食店や、大衆演劇小屋、映画館がひしめきあう歓楽街で、遊園地がアメリカ風なら、通天閣はフランス風、そして浴場はドイツ風と世界中の娯楽をごちゃまぜにしたまさしく『新世界』だったのです。

しかしながら、昭和18(1943)年の出火時に通天閣解体され、さらに戦後の昭和31(1956)年に二代目が竣工された以降は高度成長期の需要を見込んだ労働者の流入とともに庶民の町に変貌を遂げ、現在皆さんがご存知のような街の姿になりました。

初代通天閣 通天閣夜景 現在の通天閣

ですから通りをぶら歩くと、大衆的な居酒屋や雑貨店、パチンコ屋の片隅にかつての栄華を偲ばせるような料理屋や映画館が往時の姿を留めて残っていたり、労働者や街娼、おかま達と仲良く話しをしている旦那衆の姿を見かけたりするのもこの辺りならではの光景です。

こんな大阪のエッセンスみたいな街で鳩子の心に今でも強く残っている思い出はちょうどバブルの頃の出来事です。

以前からちょっとディープな雰囲気が好きだった鳩子は通天閣辺りのバーにも良く出かけていたのですが、北や南ではブランド物に身を固め肩で風を切るように歩いていた輩が多かった反面、建築ラッシュで大阪に出稼ぎできた人たちはこの辺りでは普段はつつましい生活を過ごしている人がほとんどでした。

新今宮周辺にはそのようなおじさん達が仕事疲れを癒す立ち飲み居酒屋が数多くあるのですが、同じ頃物価の高さに辟易した外国人達の中で北や南の数分の一の価格で酒が飲める店がこの界隈にあることの情報がいつの間にか伝わったようで、自然とおじさん達に混ざって酒を楽しんでいる彼等の姿が見かけられるようになったのです。

ジャンジャン横丁

おじさん達は決して英語がしゃべれる訳ではありませんが、外国人達と酒をおごりあい歓談していました。また外国人たちも着飾らないおじさん達との拙い会話の中に日本人の本来の良さを見つけたようで、時折出かけていた鳩子にもこれがまさに草の根の交流だなと実感できた次第です。

今は残念ながら労働者のための宿泊所もかつての木賃宿からビジネスホテルのような形に変わったことや、労働者達への締め付けが厳しくなったこともあり、かつてのような光景を見かけることは減ったように思いますが、たぶん皆さん自身の足で歩いてみると新しい発見があるかもしれません。

ということで、今回も新今宮紹介では欠かせないジャンジャン横丁、動物園前、飛田、フェスティバルゲートは一切触れませんでしたが、ぜひ先入観無くこの街を訪ねてみてください。

【お奨めサイト】
関西じゃりん子チエ研究会 じゃりんこチエの街
http://www.jarinko.com/monograph/machi.htm

荒戸源次郎監督「赤目四十八滝心中未遂」
http://www.akameworks.com/

坂本順治監督「この世の外へ クラブ進駐軍」
http://www.konoyo.jp/


建築マップ
(素材をお借りしました)